【仏像の制作】
仏像は古くから製作されてきたが、その製作技法は多用である。ここでは技法と材質について簡単に解説する。
塑像
土で像を作ることは、インドや西域では古くから行われていた。
日本へは中国よりその技法が伝わり、当時は“摂(ショウ)”“捻(テン)”などと呼ばれていた。
塑土は自由に盛り上げたり途中で変更したりすることができる。
天平時代に多く造られたが、非常にもろく壊れやすかったために次第にすたれていった。
製作法は像の大きさや姿勢によって異なるが、まず台になる座板に芯木を固定し、それに縄を巻いて土の食いつきを良くし、藁すさや籾をまぜた荒土で像の概形を作る。次に紙や布のすさを混入した中土を盛り上げ、最後に細かい仕上げ土で塑像を完成させる。
小さな像の腕や等身大以上の像の指先、天衣などは銅線を芯にしていることが多い。表面は白土を塗った上に色彩か金箔を施す。
乾漆像
乾漆とは、漆と小麦粉を練った麦漆に抹香あるいは地の粉混ぜて作った木屎漆を乾燥させたものである。乾漆像は技術的にみて脱活乾漆像と木心乾漆像に大別できる。
脱活乾漆像
塑像と同じく写実的な表現に適しており、白鳳期から天平期にかけて多く造られた。
製作行程の最初は塑像と同工で芯木を中に入れて土で原型を作る。その上に麻布を通例五,六層貼り重ね、乾燥を待って中の土を取り除く。
像によっていろいろな形式の芯木が補強と収縮防止の為に入れられている。こうしてできたいわば張り子の像に木屎漆を盛り上げて細部を造形し、色彩や漆箔を施してできあがる。
なお、手の指や天衣などの芯は鉄線や銅線が用いられた。
木芯乾漆像
脱活乾漆像の技法を硬化したもので、やや遅れて天平後期頃から盛んになった。
製作方法は脱活乾漆像における麻布と漆の張り子の部分を木彫で造り、その上に木屎漆を盛り上げるというものである。
木芯の作り方は、一木造の場合あるいはニ材を寄せて作る場合などさまざまで、また極めて大きなものから顔の目鼻立ちを彫んだものまであるが細部の芯に銅線や鉄線を用いる点や表面の仕上げなどは脱活乾漆像と変わらない。
金銅像
銅造鍍金の像のことで、飛鳥時代から白鳳・天平期まで多く造られた。
金銅像は“蝋型鋳造法”という、蜜蜂の巣から採集した蜜蝋で原型を造る鋳造法によって製作され、像内に空洞のない無垢のものと中空のものがある。
中空像は鉄芯を中に籠めて鋳物土で中型を作り、それに蜜蝋を盛り上げて原型とし、その上を鋳物土で包んで外型とし焼いて蜜蝋を溶かし出しできた空隙部に鎔銅は錫を1〜3%含んだ青銅で、銅分が多いことで鋳込みは難しいのだが、仕上げや鍍金は行いやすかった。
鍍金は水銀と金の合金を像の表面に塗り、それを焼く“金アマルガム法”で行われた。
木彫像
日本は湿潤な風土に育まれて、彫刻に適した材木に恵まれている。
そのため木彫像は早くから製作され、平安時代以降は仏像彫刻の主流となった。
飛鳥時代から天平期前半にかけては木彫像が盛んに造られるようになり、檜材や榧材を使ったものなど多様な木造が生み出された。
平安時代に入ると定朝により寄木造りが考案され、大きな像を大量に作ることが可能となり、木彫像は日本の仏教文化の中心として大きく発展していった。
一木造り
一木造りというと頭の先場合によっては台座まで両手や天衣も含めてすべてを一材から刻み出した像のことを考えがちだが、このような例は中国の壇像や、それを模した壇像風の像を除いてはむしろ少なく、両腕や天衣、坐像の組んだ両足部などは別材を矧いでいることが多いが、像の主要部分である頭部と胴部が一材でできた像はすべて一木造りと呼んでいる。
製作工程は、像の大きさに合わせた角材を切り出す木取りから始まり、鉈や丸ノミで荒彫りを行い、小造りといって細部を刻み出し最後に仕上げを行う。仕上げについては頭髪や眉・眼に群青や墨、唇に朱などを施す以外は素地のままにして素木像として仕上げる場合と、木の地肌の上に漆や乾漆を施して地固めを行う、木心乾漆技法の伝統を継いだやり方の場合がある。また後者については、漆箔といって漆を塗って金箔を押す場合と白土を塗り、彩色や截金を施す場合とがある。
寄木造り
一木造り最大の欠点は干割れで、それを防ぐためになるべく木心を避けて木取りをしたり、内刳りといって像の内部を空洞にしたりする工夫がなされたが、背中の狭い穴や像底から内刳りをするには限度があった。
そこで次第に、用材を二つに割って内側を刳り再び一材に合わせて彫る割矧ぎ造りや、根幹材に別材を足して像を作ることが行われるようになり木寄せ法が発達した。このほか工程の途中で首をいったん割り放す割首も行われた。
このようにして、頭部と胴部を形づくる根幹材が同等の重要さを持つ、ニ材以上の別材からなる本格的な寄木造りが生み出された。寄木造りは平安時代に定朝が完成させたと言われるが、この寄木造りは用材を節約し、大きな像の製作を可能にし工程の途中を分業できるようにしたという点で仏像製作に多大な恩恵をもたらした。
鎌倉時代以降もこの手法は受け継がれ、地方へと広まりさらなる発展を見せた。鎌倉時代以降は像に玉眼を入れる手法が生み出された。(玉眼とは、レンズ状に磨いた水晶を刳りぬいた目の内側に嵌めて瞳を描き、白目の部は紙を当てて実際の眼のように見せる工夫である。)
その他
これまでに挙げたもの以外にも石や鉄を用いた像などが作られたが、日本においては中国などに比べてはるかに作例が少ない。
- 石仏…インド・中国・朝鮮では盛んであった石窟寺院が日本においては全く造営されず、自然の岩壁を利用した摩崖仏がわずかに造られ、近世以降に地蔵菩薩像が各地で造られたものの古い作例は少なく、大寺の本尊として石仏が奉られるという例は非常に稀である
- 磚仏…磚とは凹形の型に粘土を押し当てて型取りし、それを焼いたあと金箔や彩色で仕上げるもので中国の古墳などに多く見られる。日本では白鳳期に造られた
- 押し出し仏…磚仏と同じく中国から伝わり白鳳期に造られたもので、鋳銅製の凸形の型に薄い銅版当て上から打ち出したもので鍍金もしくは漆箔で仕上げる
- 鉄仏…鉄の質感はきわめて武家好みであったらしく、鎌倉・室町時代に流行した
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