京都の文化財

ここでは皆様が文化財に親しんでいただくための手引きとして文化財の基礎知識、
その魅力 と楽しみ方、トピックスなどを紹介していきます。

 

文化財の基礎知識

彫刻―仏像 | 寺院建築 | 絵画

 

彫刻ー仏像について

@仏像とは  
仏像とは、本来は“仏陀の像”のことである。
仏陀とは、サンスクリット語の“ブッダ”の音写で、“真理を悟った者”という意味であり、略して“仏”とも、漢訳して“如来”とも言う。
つまり狭い意味では、釈迦如来をはじめとする如来像のみが仏像ということになるが、一般的には菩薩像、明王像、天部像までを含めた“仏教尊像”全体を仏像と呼ぶ。

A仏像のはじまり
仏像は、“ブッダとしての釈迦”を石に刻み込むことからはじまった。これが紀元前一世紀のことである。
それまでの仏教においては、釈迦の姿をあらわすことことが禁じられていた。釈迦に対する畏敬の念からである。
そのころの人々の礼拝の対象としては、仏伝図(仏伝と呼ばれる釈迦の生涯を説いた伝記を描いたもの)というレリーフがあったが、この中においても釈迦の姿があらわされることはなく、釈迦の姿だけはいくつかのシンボルによって描かれていた。
出生のシンボルとしては蓮華、成道(悟りを開くこと)には菩提樹、初転法輪(最初の説法)には法輪、涅槃(死)には仏塔といった具合である。
このほかにも、釈迦が座ったとされる方形の仏座や、足跡を型どった仏足石なども釈迦の姿の象徴とされている。
その後、時代が経つにつれて人々は、もっと具体的でわかりやすい礼拝対象を必要とするようになった。このときできたのが先に述べた石仏である。

B仏像のかたち
仏は時とともに様々なものが考え出され、その姿かたちについても多くのバリエーションが生み出されたここでは、そのかたちについて様々に解説する。

仏像の姿勢について       
立像

立っている姿を表わしたもので、次のような種類がある。

・正立像…両足をそろえて直立した姿

・斜勢像…一方の足を少し前に出した姿

・経行(キンヒン)像…経行という座禅の後のゆっくりとした歩き姿

・舞勢像…踊りをおどる姿      

座像
座っている姿を表わしたもので、次のような種類がある。


・結跏趺座(吉祥座・降魔座)…座禅の座り方で両足の裏をそれぞれ反対の足の膝の上に組んで座る姿で、右足を外側に組むものを吉祥座、左足を外側に組むものを降魔座と呼ぶ

・半跏趺座…結跏趺座を崩したもので、一方の足だけを反対の足の膝の上に組む座り方で、いわゆるあぐら姿のこと

・遊戯座…半跏趺座をさらに崩したもので、両足を組まずに平たく座ったあぐら姿

・輪王座…片膝を立てた姿

・跪座…中腰で足を閉じた姿

・蹲踞座…中腰で足を開いた姿

・箕座…横座りの姿

・善跏倚座…台に座り両足をそろえて降ろした姿

・半跏倚座…台に座り右足を曲げて左膝の上に乗せた姿

臥像―横になって寝そべった姿(おもに涅槃像)    

印相について
仏像の手の形や組み方を印契あるいは印相といい、略して印と呼ぶ
釈迦の五印
釈迦の様々な身振りを表わしたもの

・説法印(転法輪印)…釈迦が最初の説法をしたときの身振りをとらえたもの

・施無畏印…人々を安心させる身振り

・定印(禅定印)…心の安定を表わす身振りで、釈迦が悟りを開いたときの姿をとらえたもの。これと同じかたちで阿弥陀如来が結ぶものを阿弥陀定印、大日如来が結ぶものを法界定印と呼ぶ

 ・降魔印(触地印)…悪魔を退ける身振り(釈迦が悟りを開いたあと悪魔が悟りの邪魔をしにやってきた際に、釈迦が指先を地面に触れると地神が現れて釈迦の悟りを証明しこれを見た悪魔が退散したという話からそのときの釈迦をとらえたもの

・与願印…人々の願いを聞き入れ望むものを与えようとする身振りで、深い慈悲を表わしている

九品来迎印
仏教では人間をその能力や信仰の程度によって、上品・中品・下品の三つの位のそれぞれをさらに上生・中生・下生の三つに分けた九つの段階に区別するが、阿弥陀如来は臨終の人を迎えに来る際その人にふさわしい印を示すとされる。
この九種の印の総称が九品来迎印である。両手をへその前で組むのが上品、両手を胸の前に上げるのが中品、右手が上で左手が下になっているのが下品であり、
親指と人差し指をあわせて輪を作るのが上生、親指と中指で作るのが中生、親指と薬指で作るのが下生である。これらの手のひらの位置と指の形の組み合わせで九種の印を表わす。
(上生印を定印、中生印を説法印、下生印を来迎印と呼ぶこともある。)

密教印

密教において印は単に身振りを表わすだけでなく、教理そのものも表わすようになった。このため密教では印が著しく発達し、種類も増えかたちも複雑になった。主なものとしては金剛界大日如来の智剣印(智拳印)と、胎蔵界大日如来の法界定印がある。

智剣印はは両手とも親指を拳の中ににぎり、左手の人差指を立ててその第一関節までを右手の拳でにぎり胸の前に右拳を重ねたもの。これは密教の密教の教主である大日如来の智慧を示したもので深い思索から行動に移る一瞬をとらえたものだといい右手は仏を左手は衆生を表わすともいう。法界定印のかたちは釈迦の五印の定印と同じである。

その他の印
この他にも印は無数にあり全てを紹介することはできないが、代表的なものをいくつか挙げておく。

・安慰印…施無畏印のように右腕を曲げて手のひらを前に開いて親指と人差指で輪を作って他の三本の指を立てたもの
(阿弥陀如来仏の下品上生印や焼くし如来の三界印などがこれに当たる)

・吉祥印…親指と薬指で輪を作ったもの

・合掌印(金剛合掌・帰命合掌)…胸の前で両手を合わせるもので普通にてのひらを合わせただけのものを金剛合掌、両手を合わせて十本の指をそれぞれ交差させたものを帰命合掌と呼ぶ


台座・光背について     
台座
もともと台座は釈迦の居場所を示すものだったが、多くの種の仏像が生み出されるにつれ様々なかたちの台座が作られるようになった。台座は仏像に威厳と安定感を与えるものとして重要な役割を果たしている。

 ・方座(金剛座・獅子座)…方座はもともとは釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたときに座っていた場所を表わすもので、具体的なかたちを表わすものではないが簡素な四角い台座のことを方座と呼ぶことがある

・蓮華座…蓮のかたちをした最も代表的な台座で、その基本形は東大寺の大仏のものとされており大仏座と呼ばれる。また、両足がそれぞれ別の蓮華座にまたがる踏割蓮華座や蓮の葉を伏せたかたちの荷葉座などもある

・岩座…岩場を表わしたもの

・瑟瑟(シツシツ)座…岩座を形式化して木を組み合わせて表わしたもの

・雲座…雲を表わしたもの(来迎像の場合は雲の上に蓮華をのせたものもある)

・州浜座…砂地を表わしたもの

・須弥座…仏教の世界の中心にそびえるという須弥山という山をかたどったもの(お寺の本堂の祭壇を一般に須弥壇というが、須弥座は台座の総称としても使われる言葉である)

・宣字座…正面から見た形が「宣」という字に似ていることからこの名があり、古代インドの王の座を模したものであるという(鬼子母神などの台座はこれに当たる。)

・鳥獣座…鳥や動物をかたどったもの(普賢菩薩の象、文殊菩薩の獅子、孔雀明王の孔雀、大威徳明王の水牛などがこれに当たる)

光背
仏は体から偉大な智慧の光を放つといわれており、これを仏像の背後に置く彫刻によって表わしたもので大別すると挙身光と頭光の二種に分けられる。挙身光については体からの光である身光のみを表わすものと、頭光と身光を組み合わせて表わしたものがある。光背を形のうえで細かく分類すると多種になるが、代表的なものとしては次のようなものがある。

 ・蓮弁型挙身光(船御光)…一枚の蓮華の花弁のかたちを表わし、船を立てかけたようにも見えることから船御光・船型光背ともいう

・飛天光…蓮弁型挙身光に飛び交う天人を刻んだもの

・千仏光…蓮弁型挙身光の一面に小さな仏を刻んだもの

・火焔光(伽楼羅焔)…明王の背後に燃え盛る炎をあらわしており、八部衆の伽楼羅が翼を広げたようにも見えることから伽楼羅焔ともいう

・宝珠光…如意宝珠をかたどったもので様々な彫刻を施したものもある

・二重円光…二枚の円形の板でそれぞれ頭光と身光を表わしたもの

・円光…一枚の円形の板で頭光を表したもの

・輪光…円形の輪で頭光を表わしたもの

 ・筋光(傘御光)…細い棒状の板で放射状の光を表現したもので、傘の骨を広げたようなかたちをしていることから傘御光ともいう

 ・その他…壬生寺の地蔵菩薩が持つ通称壬生光や法華寺の十一面観音が持つ蓮華の花とつぼみを放射状に挿したものなど様々なかたちのものがある

持物について
持物

仏像は実に様々なものを手にしているが、これらにはひとつひとつに意味がある。その中で代表的なものについて紹介しておく。
          
・蓮華…蓮の花は泥の中から生まれても泥に染まらず美しさを保つことから汚れなき仏の教えにたとえられる

・法輪…古代インドの戦車の車輪を仏の教えにたとえたもので、仏の教えが諸悪を駆逐して回転しながら他に伝わっていく様子を表わしている

・宝珠…如意宝珠という欲するものを意の如くに出すことのできる珠のこと

・水瓶…インドの僧が携行する水筒のようなもので如意瓶ともいい、仏教的には人々を満足させるためのもの

・羂索…古代インドの鎖鎌のような武器で、仏教的には煩悩を縛るためのものであり人々を掬い取り自由にするためのものである(ちなみに不空羂索の不空とは空を切らないの意)

・その他…薬壷・数珠・宝幢・宝経・宝剣・鉞斧・金剛杵・三叉戟など多種多用途のものがある

C仏像の製作  
仏像は古くから製作されてきたが、その製作技法は多用である。ここでは技法と材質について簡単に解説する。  
塑像
土で像を作ることは、インドや西域では古くから行われていた。
日本へは中国よりその技法が伝わり、当時は“摂(ショウ)” “捻(テン)”などと呼ばれていた。
塑土は自由に盛り上げた り途中で変更したりすることができる。
天平時代に多く造られたが、非常にもろく壊れやすかったために、次第にすたれていった。
製作法は像の大きさや姿勢によって異なるが、まず台になる座板に芯木を固定し、それに縄を巻いて土の食いつきを良くし、藁すさや籾をまぜた荒土で像の概形を作る。次に紙や布のすさを混入した中土を盛り上げ、最後に細かい仕上げ土で塑像を完成させる。
小さな像の腕や等身大以上の像の指先、天衣などは銅線を芯にしていることが多い。表面は白土を塗った上に色彩か金箔を施す。

乾漆像
乾漆とは、漆と小麦粉を練った麦漆に抹香あるいは地の粉混ぜて作った木屎漆を乾燥させたものである。乾漆像は技術的にみて脱活乾漆像と木心乾漆像に大別できる。

・脱活乾漆像…
塑像と同じく写実的な表現に適しており、白鳳期から天平期にかけて多く造られた。
製作行程の最初は塑像と同工で芯木を中に入れて土で原型を作る。その上に麻布を通例五,六層貼り重ね、乾燥を待って中の土を取り除く。
像によっていろいろな形式の芯木が補強と収縮防止の為に入れられている。こうしてできたいわば張り子の像に木屎漆を盛り上げて細部を造形し、色彩や漆箔を施してできあがる。
なお、手の指や天衣などの芯は鉄線や銅線が用いられた。

・木芯乾漆像…
脱活乾漆像の技法を硬化したもので、やや遅れて天平後期頃から盛んになった。
製作方法は脱活乾漆像における麻布と漆の張り子の部分を木彫で造り、その上に木屎漆を盛り上げるというものである。
木芯の作り方は、一木造の場合あるいはニ材を寄せて作る場合などさまざまで、また極めて大きなものから顔の目鼻立ちを彫んだものまであるが細部の芯に銅線や鉄線を用いる点や表面の仕上げなどは脱活乾漆像と変わらない。   

金銅像
銅造鍍金の像のことで、飛鳥時代から白鳳・天平期まで多く造られた。
金銅像は“蝋型鋳造法”という蜜蜂の巣から採集した蜜蝋で原型を造る鋳造法によって製作され、像内に空洞のない無垢のものと中空のものがある。
中空像は鉄芯を中に籠めて鋳物土で中型を作り、それに蜜蝋を盛り上げて原型とし、その上を鋳物土で包んで外型とし焼いて蜜蝋を溶かし出しできた空隙部に鎔銅は錫を1〜3%含んだ青銅で、銅分が多いことで鋳込みは難しいのだが、仕上げや鍍金は行いやすかった。 
鍍金は水銀と金の合金を像の表面に塗り、それを焼く“金アマルガム法”で行われた。

木彫像
日本は湿潤な風土に育まれて、彫刻に適した材木に恵まれている。
そのため木彫像は早くから製作され、平安時代以降は仏像彫刻の主流となった。
飛鳥時代から天平期前半にかけては木彫像が盛んに造られるようになり、檜材や榧材を使ったものなど多様な木造が生み出された。
平安時代に入ると定朝により寄木造りが考案され、大きな像を大量に作ることが可能となり、木彫像は日本の仏教文化の中心として大きく発展していった。

・一木造り…
一木造りというと頭の先場合によっては台座まで両手や天衣も含めてすべてを一材から刻み出した像のことを考えがちだが、このような例は中国の壇像や、それを模した壇像風の像を除いてはむしろ少なく、両腕や天衣、坐像の組んだ両足部などは別材を矧いでいることが多いが、像の主要部分である頭部と胴部が一材でできた像はすべて一木造りと呼んでいる。
製作工程は、像の大きさに合わせた角材を切り出す木取りから始まり、鉈や丸ノミで荒彫りを行い、小造りといって細部を刻み出し最後に仕上げを行う。仕上げについては頭髪や眉・眼に群青や墨、唇に朱などを施す以外は素地のままにして素木像として仕上げる場合と、木の地肌の上に漆や乾漆を施して地固めを行う木心乾漆技法の伝統を継いだやり方の場合がある。また後者については漆箔といって漆を塗って金箔を押す場合と白土を塗り、彩色や截金を施す場合とがある。

・寄木造り…
一木造り最大の欠点は干割れで、それを防ぐためになるべく木心を避けて木取りをしたり、内刳りといって像の内部を空洞にしたりする工夫がなされたが、背中の狭い穴や像底から内刳りをするには限度があった。
そこで次第に用材を二つに割って内側を刳り再び一材に合わせて彫る割矧ぎ造りや、根幹材に別材を足して像を作ることが行われるようになり木寄せ法が発達した。このほか工程の途中で首をいったん割り放す割首も行われた。
このようにして頭部と胴部を形づくる根幹材が同等の重要さを持つニ材以上の別材からなる本格的な寄木造りが生み出された。寄木造りは平安時代に定朝が完成させたと言われるが、この寄木造りは用材を節約し、大きな像の製作を可能にし工程の途中を分業できるようにしたという点で仏像製作に多大な恩恵をもたらした。
鎌倉時代以降もこの手法は受け継がれ、地方へと広まりさらなる発展を見せた。鎌倉時代以降は像に玉眼を入れる手法が生み出された。
玉眼とはレンズ状に磨いた水晶を刳りぬいた目の内側に嵌めて瞳を描き、白目の部は紙を当てて実際の眼のように見せる工夫である。

その他
これまでに挙げたもの以外にも石や鉄を用いた像などが作られたが、日本においては中国などに比べてはるかに作例が少ない。

・石仏…インド・中国・朝鮮では盛んであった石窟寺院が日本においては全く造営されず、自然の岩壁を利用した摩崖仏がわずかに造られ、近世以降に地蔵菩薩像が各地で造られたものの古い作例は少なく、大寺の本尊として石仏が奉られるという例は非常に稀である。

・磚仏…磚とは凹形の型に粘土を押し当てて型取りし、それを焼いたあと金箔や彩色で仕上げるもので中国の古墳などに多く見られる。日本では白鳳期に造られた。

・押し出し仏…磚仏と同じく中国から伝わり白鳳期に造られたもので、鋳銅製の凸形の型に薄い銅版当て上から打ち出したもので鍍金もしくは漆箔で仕上げる

・鉄仏…鉄の質感はきわめて武家好みであったらしく、鎌倉・室町時代に流行した。

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