|
中学生記者文化財取材コンクール 受賞作品
記事の部
平成十八年 京都市長賞 「私が感じた光」
京都市立桃山中学校二年 吉津 彩
強い風に雪のように舞う紅葉。紅葉が舞い来る先を見ようと目を上げると、強風にもびくともしない威厳をもってその山門はそびえていた。
十二月二日、金戒光明寺を訪れた私たちはまず執事である橋本さんに金戒光明寺の歴史についておしえていただいた。承安五年、法然上人が黒谷で念仏を唱えると光が辺りを照らした。そこでこの地に金戒光明寺の始まりとなる草庵を造ったのだと言われている。その後、光明寺、金戒光明寺と名前の変遷がありながらも信仰の地としてあり続けた。また、金戒光明寺は信仰の地とは別の面でも歴史に名を残している。新撰組発祥の地である。文久二年、京都守護職に任命された松平容保は黒谷に本陣を構えた。この寺が城構えであり、御所も近く、千人もの人が駐屯できたからであろう。ドラマで見た新撰組の人々がここに立っていた、実在していたんだとあらためて感慨深く感じた。
境内には最初に見た山門の他に、最も古い建物である阿弥陀堂や、何度も焼失しながらその度再建された御影堂など、多くの建物がある。私が最も心ひかれたのは、御影堂で見た屏風と、そこにまつわる五色の糸の話である。五色の糸とは赤、青、黄、白、黒(紫)からなる五本の糸のことである。赤は慈悲、青は帰依(きえ)、黄は智恵、白は清浄、黒(紫)は救済を意味する。かつて、人々は臨終の際に枕元に屏風をおき、その屏風の阿弥陀像と臨終の人の手にこの五色の糸をかけ往生を願わせたという。そこには死を恐れながらも単に死を避けるという姿ではなく、家族や仏に看取られながら死を安らかに受け入れようとする姿があるように思う。
「結縁」という言葉がある。仏が世を救わんために、まず衆生に関係をつけること、仏像に縁を結ぶことだという。人は「死」への恐れを持っていたからこそ自分の「生」を大切にし、死を厳粛に受けとめ、仏と縁を結ぼうとしたのだろう。また、生きている間は自分の周囲の人々との縁を大切にしたのだろう。
それに対して、今の日本はどうだろうか。たくさんの便利な道具に囲まれて、コミュニケーションを取ることに決して困らないはずなのに、人と人との関係はどんどん表面的な薄っぺらなものになっているようだ。さらに「死」=「生」を軽く見、ゲームやおもちゃのように扱っているのではないだろうか。それは他人の「生・死」に対してだけでなく自分の「生・死」に対してもそうである。そんなニュースに接してばかりいるととても暗い気持ちになることが多い。しかし、私は、人間には本来他者への思いやり、支え合う力が備わっているはずだと信じたい。仏の教えという難しいことはよくわからないが、五色の糸の話を聞いた金戒光明寺が「黒谷さん」と親しみを持って呼ばれていることに、何となく一筋の「光明」が見えるように思った。
戻る
トップへ
|