連なる山々に沿い、たたえた水に空を映しながら、滔々(とうとう)と流れゆく宇治川。一千年前、かの紫式部もこの水流に魅せられ、浮舟をその流れに託したのであろうか。古(いにしえ)より流れ続けしその清流を眼前に、仏徳山の雄姿を背にして建つのが、日本曹洞宗の初開道場「興聖寺」である。
十二月七日、大雪の日、私はその総門に立った。石造りの門を抜けると宇治川の水音が遠のき、代わりに澄んだ瀬の音色が響いてくる。道の両側を流れるこのせせらぎが琴の音に聞こえることから、先人はこの参道を「琴坂」と呼んだ。真っすぐにつづく小道は紅葉の名所であり、秋には宇治十二景に数えられるほどの鮮紅を蒼(あお)空に誇る。訪れたときすでに枝に葉はなかったが、苔生(こけむ)した岩に散ったもみじはその深緑に美しく映えていた。
そんな自然の彩りを愛でながら坂を上りきると、白壁が目に眩(まぶ)しい山門が姿を見せる。閑静な空気の中、その奥の薬医門を抜けるとついに寺の本堂がその威厳を現した。漆喰(しっくい)の壁に掲げられた扁額。その木枠こそ歳月に色あせてはいたものの、文字は清(さや)かに私を迎えた。
「興聖宝林禅寺」
この寺はもともと一二三六年、開祖道元禅師によって伏見深草に建てられた。が、十年余りで廃絶。それに心を痛めた淀の城主が約三五〇年前、宇治川のほとりに再興したのだという。以来部分的に補修されているだけで、江戸初期の建造物たちは今もなお、参拝者を見守り続ける。
境内に立ち並ぶ伽藍の中、最も高い所から宇治川を臨む天竺蔵がある。ここに祀られているのは聖観音菩薩像。柔らかな手にそっと蓮の蕾(つぼみ)を持ち、その横顔には深い慈愛を湛(たた)えている。平安時代後期の作とされ、別名は「手習観音」。その昔、手習いの杜のお堂にて民の信仰を集めていたため、その名がついた。この社は源氏物語にも登場し、浮舟が助けられた場所はその近くにあったとされている。式部も今の私達のように、このほとりからの景色を眺め、物語の世界と重ねていたのであろう。
自然というものは、実に鮮やかに人々を魅了する。それは古今を通じて変わることを知らず、今を生きる私達もまた、その地に建つ文化財に通っては先人の見た景色を愛でている。
紫式部が惹(ひ)かれた宇治川や山の連なり。
参道のせせらぎや自然が織りなす色彩。
これらを見守る仏徳山を興聖寺。
そんな趣をもつ一つ一つがいつの世も大事に守られてきたからこそ、その空間は人々に昔年のままの姿を呈するのだ。文化財とそれが見守る自然。次は未来を生きる私達がその歴史を継承する。その上で大切にすべきものこそ、それらに対する慈愛の気持ちと感動を育む心なのだ。それをこの興聖寺で教わった。
(岡田 藍沙) |